筋肉の記憶

「身体」とせずに、あえて筋肉としてみました。
この前、ダンサーにはあるまじきこと。8年ぶりくらいにバレエのレッスン。
もちろん日常的に身体は動かしているし、一応立てるし廻れるのですが。
バレエを一から十までっていうのは、ちょっと違うのです。
で、当然あちゃこちゃ筋肉痛になったわけですが、その理由は。
バレエ筋が鈍っているから。特に足底筋。それを動かす筋肉もろもろ。
つまり下肢に筋肉痛は集中していたのでした。やっぱりバレエって足よ。
そして、理由はまだある。それは記憶による「こうあらねば」的感覚。
いまや現役の時より体重ある(と思う)し、筋肉の若さ自体が違うし。
それでも「刷り込み」って恐ろしいものですね。
上がらなくても足が勝手に上げようとしちゃう。
自分が理想とする、または本来できる高さまで上げようとする。
これってなんだろうな〜って考えていました。
やっぱり刷り込みなんだろうなぁ。
しかも理論は頭で覚えているはずなのに、体が反応しているという事実。
反対に言えば、この刷り込みが間違っているとダメですよね。
バレエの場合、わりに「正しいポジション」というのは定まっており
「ねばならない」というラインが明確であるので
よほどでない限りは間違った刷り込みを持つには至らない、と思います。
解剖学的な見地に基づく指南書なども出ていますから。
よほどいいかげんな先生に付かない限りは間違ったことは覚えずに済みます。
私の場合、最終的には裸足で踊るために(「踊り」というものの解釈の為)
あるいはバレエダンサーに変な引け目を感じないためにと成人してから
一から始め、トウシューズを履けるようになるまでみっちり密なレッスンで
鍛え上げられました。
最終的にはバレエダンサーになるためではなかったので
バレエ的なテクニックはきっと最低限なものだったのでしょうけれども
それでも多岐にわたるパを、当時は難なくやってましたねぇ。
無論、バレエしている人から見たら、体育会系的だったかもしれませんが。
それでも「どうあるべきか」というのは徹底的に教えられた気がします。
どうしたって後付けではあったので、子供の頃からやっていた人に比べると
バレエにはあり得ない無茶をしていた気もしますが
最終的には「踊る」ということに結び付けるための基礎である、という
それ一つを拠り所として毎日々々やっていました。
子供の頃から週2回のレッスンで育ってきた人のレッスン量は
最初の3年で15年分くらいは抜かしたはず。
それもこれも「踊る」ためのものでした。
なぜ、身体を引き上げねばならないのか。
なぜ、肩を下さねばいけないのか。
なぜ、回るのか。
なぜ、跳ぶのか。
テクニックと基礎作りだけではなく、この「なぜ」に込められた意味を考えろ、
ということまで言葉ではない部分で教えていただいた。
漫然とレッスンを受けるな、とよく怒鳴っていた師匠でした。
もちろん、それらをするために正しいポジション、正しい身体の使い方
正しい骨格なども必要になってきますが、当時そんなことは後付け。
とにかく「こうあるべき」「こうあらねばならない」のmust onlyです。
単純にして明確な真理を、繰り返し繰り返し、刷り込む。
おそらく、これが近道にして一番重要なことだと思われます。
うん、よし。私も頑張ろう。