違っていい

久しぶりに振付を受けてきました。
覚えられるか本気で心配していたけど、何とか大丈夫でした。
だって前回はビデオで覚えていったヤツだったしぃ〜
改めて覚える必要なかったしぃ〜。
…今回はなかなかに緊張しました。
一応、裏付けになるような筋立てらしきものもありまして
もちろん台本があるわけではないので、全て口頭での受け渡しですが
役柄としてのスタンスを与えられ、その上で振付。
創りやすい…いや、入り込みやすいというべきかな。
また狂います(笑)壊れていきます。でも鬼にはならないよ。
そのシーンは私のソロパートで約7分間ぐらいのところですが
「自由に動いて創ってきて」と。「やるたびに違っていいから」と。
もちろん振付を踏襲した上で、という意味合いですが。
そのあたりは先生から信用を得ているようで、当然ですが
改めて釘を刺されるようなことはありません。がんばらねばの。
気持ちが筋肉を動かす。
逆に言えば動きを見て感情が伝わるように、というハードルの高いこと。
先生の言わんとすることがスッと心に入ってくるのは
日頃、私もそのように感じているからなのでしょう。
その昔、そこのダンサーに指導をさせていただいたことがありました。
ただ手を挙げるだけの振付を、私は1時間それを彼女にやらせたそうで
「泣いた」と言ってました。(私はおぼえてなかったけどね)
それはどうしてかというと「やるたびに違う」からです。
でも、先生が私に言われた「やるたびに違っていい」というのとは
明らかに違うんです。言葉上では同じようなのですが、意味が違います。
私が彼女に何度もやらせたのは「心(感情)」の出所が毎回違うから。
つまり、動きは感情の発露であるべき、というスタンスにたっての話。
「どういう風に手を挙げよう」とか「こうしたらどう見えるか」と
そういったことはあくまでも表面上のテクニックなのです。
身体を動かすのは心。なのに、その心が毎回違うのはおかしいでしょう。
動きは毎回違うかもしれないけれど、源であるところの心は
この踊りを踊る時にはこう、というのが決まっているはずのものです。
あくまでも観客に作品をみせるということを前提とする話ですけどね。
「私の」発表会ではありません。私は「作品」をみせるためのパーツです。
そういうことなんですね。
でも、ちゃんと今回は心穏やかに終わるはずだから〜。
良かったら5月に「うどん」食べにいらしてください。