覚悟はよいか?

先週のこと。
各自のご用事でお二人が休みとなって、3人だけでのレッスンだった滋賀。
みっちりと…やろうにも、そうそう体力もたねぇし。
まずは思い出しから、になるし。
で、2回の通しを「はい、じゃも一回やりましょう」って言うだけで
じぃ〜っと見ていたらばOさんが「先生、もっとなんか言うて」とおっしゃる。
…。うん。ま、言いたいのはヤマヤマやけど…とどんどん口ごもる私。
「注意してもらわな、わからへん。踊ってる時にもっと胸、とか顔とかいうて」
…。うん。まぁそやねぇ。歯切れの悪い私に業を煮やされたかしら。
でもね。反論してよかですか?
「まずは、覚えてから、です。間違わずに踊れてからしか、注意できません」
イヌのしつけやあるまいし、踊っている最中に注意されて、嬉しいでしょうか?
私は自分が踊っている最中にヤイヤイ言われるのを好みません。
踊りは流れです。細切れではありません。起承転結、全て流れの中にあります。
最初から最後までやりきった中での注意「点」です。
人間だもの、同じことは2度とできないでしょう。
でも、流れにおいて、同じ色合いになることを目指したいわけです。
片耳で注意を覚えている時、次の振りがおろそかになりはしないでしょうか。
これだけは自慢させていただきますが
かつて、自分が踊る時に「適当に」踊ったことは一度もないです。
振付を覚えてから、もちろん先生を前にして踊る時(若かった頃)などは
一回で燃え尽きてしまうくらい気も身もいれて踊ります。
そうでなければ注意されたとて、できるわけがない。
同じ熱さを求めるのは間違っていると思いますが
「注意されて、できるかどうか」というのは本人次第でありましょう。
必ず直してくれる期待がなければ注意する方も躊躇します。
と、言えるはずもなく。
そんな高みを目指されていないのは良くわかっています。
私が一番嫌うのは注意されていることで「やった気になる」ことです。
ちょっと複雑かも知れませんが。
注意されていることで、ある種の反発作用とでもいうか、
得てしてそういうことがおこりやすいものなんです。
そうじゃない。そうじゃないんだよ。それはスポーツ的感覚ですよね。
踊りは自分の世界を創り上げることです。
それを観客は覗き見している…ような構図。
エンタメ路線の場合は思いっきり正面にアピールせねばなりませんが
そうじゃない踊りは、少なくとも私はその立ち位置にいます。
でも、注意してほしいとおっしゃるのもわかる気がします。
よく言われますから。言葉が足りないのよね、きっと。
ということで、「そこまでおっしゃるなら、これからガンガン注意します」と
先週言いましたから。今日は思いっきりたくさん注意してきます。
5人分、注意してたら口が足らんのちゃうかな〜?