リレー

今朝の新聞コラムに山折先生が寄稿されていた。
最近の「臓器移植法改正」に伴う考察。
以前は本人確認ありきだったのが、脳死の判定を受けた時、
遺族が本人に代わり決断を下してよいというアレについてだ。
先生は、その法の是非についてではなく、
脳死から臨終に横たわる患者・遺族間の静かな時間を奪われることによって
「最期のひとときが慌ただしくなること」に批判的であるらしい。
その中にあった端的な言葉として。
『これは「命のリレー」ではなく「臓器のリレー」ではないか』
勝手に要約したので、先生の文はもっと長い。
イノチノリレーという言葉がレトリックにならなければよいが、という危惧。
いつ何時、自分がどうなるかわからないということを真剣に考え
少なくとも「苦しい判断をさせてしまう」ことのないようにしておきたい。
家族のみならず、周りの人にも
「自分はどのように最期を迎えたいか」ということを
伝えておく必要性を改めて感じた一文。