また、やってもーた

朝から一通りの家事のち、おばあちゃんの診察付き添い。

おばあちゃんの方は気になる所見はなく、MRIとかも今まで通っていた病院で

撮ってもらい、そっちで治療継続ということに。

京大病院からの紹介状があるので、また違った形で診てくれるやろう。

認知症の方に関しては予約の取り直しで1か月後。ふぅ。

で、帰ってきてPCに向かっていたらケータイに電話がかかって来た。

鍼の先生から!

あ~またやってもーた。ごめんなさ~い。私こそ物忘れ外来に行かなあかんわ。

f:id:reiworks:20170613182728j:plain

 

 

 

勝負しません

この前、東京からダーリンが帰って来た時に私に言った言葉。

「レイも仕事で勝負するんやったら東京やで」

え?なんの話ですか。

そもそも勝負なんかしませんし。今更する気もありませんし。

勝負とかじゃないし。

例えば一旗揚げる。組織を作る。売れる。

どれにも興味がない。悪いけど。

君がそっちでの仕事が楽しいのは結構なこっちゃ。

でも私はいらん。

勝負とか、いらん。

感じる

本日しか休みがない。ということで行ってきました。f:id:reiworks:20170611121239j:plainf:id:reiworks:20170611135702j:plain

すごい立派な施設。。。目当てのものはゲットしてきた。

ただ・・・いやいや腐すのは悪い癖や。やめとこ。

で、すぐ近くだったので観てきた。

f:id:reiworks:20170611160336j:plainf:id:reiworks:20170611161039j:plain

歩くと20分ぐらいということで、ここにも。

f:id:reiworks:20170611163253j:plain

f:id:reiworks:20170611163311j:plain

高松塚古墳までは行けず。

っていうか、途中からただの旅になっとるやないか。

f:id:reiworks:20170611170523j:plain

これは帰りのバスの中から窓越しに撮った写真。

大和三山の一つだと思われるが何山かはわからない。二上山でないことは確か。

方角的には天の香具山だと思うんだけど。

少々風があって肌寒い曇り空だったけれど来てよかった。

風に吹かれながら目を閉じて古の中にいることを想像しながらしばしタイムスリップ。

飛鳥はロマンがあるね。それに石、だね。そんなに石を推さなくても。

ドタバタですが良い一日でした。

 

 

 

ごめんやっしゃ~

大阪レッスン。さて、本日どこまでいけるでしょうか。

短い時間で練習、復習、振付までをせねばならないこと。

ままま、とりあえずやることやっちゃってドンドンいかなきゃね。

毎度大阪の皆さんは厳しい条件で発表会に向かってくれて感謝です。

しか~し、振付した尻から忘れていかないと追いつかない状態で創っているので

振りを覚えていない!ところがある!

どうしても4カウント分の振付が出てこず頼みの綱のYっちゃんも今日は来ていない。

ひょえ~どうしよう。MYさんもユニちゃんもパートが違うし・・・。

ということで急きょYっちゃんにLINEで聞く。頼む!気づいて!

さすがのYっちゃん、すぐに気づいてくれて、でも「今、出先です」と。

う~ん、映像でなくてもいい。言葉でいいから教えてとか無茶いう私。

踊りを文章にするほど難しいことはないっていうのに。

するとYっちゃん、近くにいた人に撮ってもらって動画を送ってくれた。

ひゃ~、出先でよそ行きの服着てるのに、すまぬ~。助かった~。

そんな協力もあって無事何とか振り写しできたっす。

今日はKZちゃんがお休みとのことで、それに大物のところが残ってしまったけれど

一応は京都と足並みは揃えられた。

今月は続いて来週またあるので、この速い曲は終了するね。

・・・ま、まだまだあるっちゃあるけどね。

あんまり先を見ないのが生きていくコツですし。みんな、がんばろ~。

 

 

死生観

ドキドキぼーいず『生きているものはいないのか』@劇研。

ナゴコンにも来てくれた西村さんとねむり姫からのお付き合いガトーくんが出演。

それにユニット美人の黒木陽子さんも出演されているので楽しみに出かけた。

20人以上の人間が謎のウイルスによってバタバタ死んでいく不条理劇。

天井から吊られている幕に芝居が始まるまで写真が映っていた。

芝居が始まるとその幕が(一定幅、間隔が空いている)ちょうど微妙な隠しになって

いい感じの演出だと思った。

さて内容は、本当にどんどん人が死んでいく「だけ」の芝居で、時おり役者の個性が

前面に出されているところを笑っていいのか笑っちゃいけないのか。

それに死ぬとき、みんな何かしらの動き(謎のウィルスは自分の制御が利かない風な)

をするのだけれど人によってはコンテンポラリーダンスの動きだったりもして

それが私自身には余計に感じたところ。

それ、いらん。

やっぱりそういうのは我が出るというのか、動いてる私、ほら(自慢)という風に

見えてしまう。これは好き嫌いに関係ないと思うのだけれどどうだろう。

たまたま私が踊り畑だからそう思うだけなのか。誰か解説して欲しい。

つまり死んでいく時にそんな表現になるだろうか、と。

もちろんフィクション。

わかってるけど。

そうだなぁ、その辺りなのかもしれない。みんな軽く死ぬんだよね。

表現としてはバタバタする人もいるしスマートな人もいるけれど。

あ、この人は踊り(の訓練)をやってるな、と思う人ほど踊りすぎる。

そこじゃないよね。アナタが踊れるかどうかは関係ない場面。

でも、もちろんそれは演出なのだ。

まずいのは本人でなくて演出家の考え方、見せ方なのじゃないかと思う。

こちらが深読みして考えると、確かに人って意味もなく死んでいくことがある。

それも突然。奪われるようにして。そしてそれは生きていることに意味はあるのか

という哲学的とも思える思考につながるものだと思うけれど。そこまで考えた?

一番最後に映像で東日本大震災の映像とか、そういうものが写された。

だから演出の描きたかったことはわかる気がする。

人って大量に、意味もなく、突然死ぬことがある。

でも、実際に行われていることがもう一つそこへつながらなかったんだよね。残念。

別にシリアスがいいとは思わないけれど、人が一人死ぬ、ということは簡単じゃない。

なんだかその辺が思いとは裏腹に浅かったような気がして惜しい。

嗜好の問題かもしれないけれど。

「人が意味もなく死ぬことはある」けれど、その人の人生に照らし合わせたときには

その人の人生には意味がある、と思うから。

そのあたりの軸足の置き方かな。色々惜しかった。伏線が回収されていなかったり。

それに年長の人(明らかに演出より先輩の役者)に指示出しにくいのはわかるけど

丸投げしていいところといけないところがあると思うよね。

これ、私も気を付けようと思うところ。

やっぱり最終的にすべてのデキに関わってくるんだ。ぶるぶる。

演出家は作品に対する、または人生に対するポリシーが必要。と思う。

 

一山超えたべ

万葉、速い曲。今日中に上がるかな?あげたいな、ということで

振付を考えては行かなかったけれど大体の構成はざっくり想像して。

流れ的に一番盛り上がるところは大阪チームで踊ってもらうことになってしまった。

音楽だけ聴くと全員で?または徐々に増えていく?かなと思ってたけど

振付の流れがそうなってしまったからもう仕方ないです。

ホンマのとこ全員が揃って踊ってみないとどういう構成になっているのかが

自分でもわかりづらいのだけれども、修正は後で施せるしね。

いってまえ~~~~~!

で、一応最後までいきました。ほほほ。やっていけば何とかなるもんですね。

さて、あとは単品でいくつか頑張る。

今日は帰宅してから芝居を見に行くのだ。

「社会体育だもん」

水曜レギュラーレッスン。年齢層は昨日と変わりませんが。

発表会に向けてそろそろ動き出し・・・たいけれど、ちょっとまだ整っておらず。

それにまつわる話をしつつ、本日はこちらも「コーヒールンバ」で。

え?そこ、流用とか言わない!軽くやっておかなきゃいけない時期もあるのよ。

こちらの方がいろいろ支障は多い(身体的に)から速い曲、無理かしら?

とかいいつつやってみたら。

恐れ入りました。まじで。

スラスラ覚える。リズムにも乗れる。おまけに振付、もっと先まで行っちゃた。

確かに動くことを目的にしているものなのでダンスの皮を被った運動なんだよね。

私自身はエアロに近いと思っている感じ。基本的に左右対称だし。

こういうの私自身は苦手。回数を数えながら踊るのは踊りじゃねぇと思っちゃう。

ま、それはよしとして。今日はあえてそれをやろうと思ったらスラスラ~っとね。

すごい!やっぱり30年、伊達やないわ。

と褒めそやしましたら「だって、センセ。私らこんなんばっかりやっててんもん」

それが社会体育というものだそうです。なるほどな。